坂本龍馬の写真

遺された龍馬の写真

■坂本龍馬の写真は、この時代の人にしては比較的多く遺されています。

131歳、慶応元年末、長崎、上野彦馬写場
右=下関の豪商・伊藤助太夫 左=伊藤家使用人
(伊藤明子氏蔵)
坂本龍馬 写真2 233歳、慶応三年一月
長崎、上野彦馬写場
桂浜の銅像のモデルになった湿板写真
(高知県立歴史民族資料館蔵)

■ABCDの写真は上野彦馬写場で同日に撮られたもののようです。撮影者は上野彦馬ではなく、土佐出身の門人、井上俊三であるというのが、定説になっています。 
坂本龍馬 写真2−2
坂本龍馬 写真3 333歳、慶応三年一月
長崎、上野彦馬写場
集合写真(海援隊士)
左から・長岡謙吉・溝淵広之丞龍馬
・山本洪堂・菅野覚兵衛・白峰駿馬
坂本龍馬 写真4
433歳、慶応3年1月
長崎 上野彦馬写場 (三吉治敬氏蔵)
坂本龍馬 写真5 533歳、慶応三年一月  上野彦馬写場

明治37年、日露開戦が目前に迫った頃昭憲皇太后の夢の中に龍馬が現れ「微臣はこの魂魄を皇国海軍の上に宿し必ず勝利へと導き奉る」と奏上したという報道があり、その時に献上されたのが左の写真の複写されたものだった。

皇太后が本当にそのような夢を見たかは明らかでない。おそらくは土佐閥の勢力挽回のための工作であったという推測が有力。だが龍馬は、この”瑞夢”により「忠心義肝の英霊」として国民の戦意高揚に利用されることになる。

このイメージは太平洋戦争敗戦まで龍馬に貼りついたままだった。
坂本龍馬 写真6 6土佐風の風貌

裏に「坂本龍馬肖像、坊間多くある中に是は本ものなりと云う事なり」と記載されている。Dの写真に修整を加えたもののよう。(京都霊山歴史館蔵)
坂本龍馬 写真7
733歳、慶応三年九月頃、最後の写真
福井または上野写場(東京龍馬会蔵)

坂本龍馬、高精細写真「近代日本人の肖像」-「坂本龍馬」より
右の写真をクリックすると別ウインドーで表示されます。
サイズが大きいのでご注意ください。(1024×1312)
※国立国会図書館から許諾を受けて転載しています。


近代日本人の肖像 国立国会図書館内のHP
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坂本龍馬 写真8

真偽不明の写真

写真が一枚も遺されていないという西郷隆盛を称する写真は数多く出たが、本物の確証が得られたものは一枚も無いそうです。幕末の有名人たちの真偽不明写真は、西郷隆盛や龍馬に限らず数多くあります。

これらの写真は「有名人の写真が欲しい」「有名人と写った写真が欲しい」といったニーズにより、ある写真を本物と偽称したか(中には悪意なく真に本物と信じた者もあった?)、または似た人物を撮って本物と称したものか、写真が一般化した明治期にそういうことが多くあったようです。

下に掲載した写真の龍馬の顔は、どれも上の龍馬の写真として認知を受けたものとは、別人のようにも見えますが・・・・

これら不明写真のなかには、龍馬の実写真として書籍等に紹介されているものもあります。本物であるという証明は困難ですが、偽物と断定するのも難しいようです。

坂本龍馬 真偽不明写真8 8文久元年(1861)十月、丸亀で
撮影者=百々主計
右=丸亀の矢野道場指南役で丸亀藩士の原吉雄左=龍馬 (原猛氏蔵)
剣術詮議を名目に丸亀から萩へと旅をした龍馬だが、真偽はさておきHの萩訪問の際の写真とはどう見ても別人。刀も違っている。

9文久二年正月、萩訪問の際のものといわれる。28歳(下関市長府博物館蔵)
椅子の見え具合と背景が違っているが、上Cの写真と瓜二つのポーズとアングル。
坂本龍馬 真偽不明写真9
坂本龍馬 真偽不明写真10 10文久三年 (武田家蔵)
中央=勝海舟  右=坂本龍馬  左=武田祐治
文久三年というと神戸海軍塾の頃で勝海舟との関わりの深いとき。武田祐治は神戸海軍操練所教授だった人。
一説には勝海舟の身長は158cm、龍馬は173cm。座っているので比較し難いが、それほどの身長差があるようには見えないのだが・・・

坂本龍馬の画像

坂本龍馬 画像1 左明治初期の洋画家、国沢新九朗の作といわれている。

右龍馬の写真5の複写されたものだが
写真下に
「坂本龍馬写真 慶応二年一月、長崎に於いて上野彦馬撮影。長崎天神裏に居りし頃海援隊を組織する前にて少し威勢よくなりし頃にて、始めて羽二重の紋付を着す。右、溝淵広之丞義直の従者たりし吉村正氏の直話」
とあるのが、上記写真の撮影時期の根拠のひとつとなっている。ただし慶応二年とあるのはあやまりで「海援隊を組織するまえにて」とあるように慶応三年が正しいようだ。
坂本龍馬 画像2
坂本龍馬 画像3 左大正五年一月 千頭清臣 英文賛 
公文菊僊、画
On Sakamoto Ryoma
(坂本龍馬について)
As men die, so they walk among posterity
(人は一代、名は末代)

で始まる、この英文の賛(画中に加える詩や文)もまた昭憲皇太后の瑞夢をもって龍馬を帝国海軍の守護神に祭り上げている。

右公文菊僊、画

公文菊僊は大正・昭和初期に活躍した高知出身の画家で人物画を得意としていたが特に龍馬を描かせると右に出る者は無いといわれていた。
(佐川町立青山文庫蔵)
坂本龍馬 画像4