龍馬の手紙

脱藩後初めての手紙

坂本乙女宛 文久三年(1863)三月二十日

扠も扠も人間の一世はがてんの行ぬは元よりの事、うんのわるいものはふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。

夫とくらべては私などは、うんがつよくなにほど死ぬるばへでゝもしなれず、じぶんでしのふと思ふても又いきねばならん事になり、今にては日本第一の人物勝憐太郎殿という人にでしになり、日々兼而思付所をせいといたしおり申候。

其故に私年四十歳になるころまでは、うちにはかへらんよふにいたし申つもりにて、あにさんにもそふだんいたし候所、このごろはおゝきに御きげんよろしくなり、そのおゆるしがいで申候。

国のため天下のためちからおつくしおり申候。

どふぞおんよろこびねがいあげ、かしこ。

三月廿日 龍
乙様

 御つきあいの人にも、極御心安き人には内掌御見せ、かしこ。

■現代語訳

さてもさても人間の一生は、合点がいかないのは当然のことで、運の悪い人は風呂から出ようとして、キンタマを割って死ぬこともある。

それと比べると私などは運が強く、いくら死ぬような場所へ行っても死なず、自分で死のうと思っても、また生きなければならなくなり、今では、日本第一の人物勝麟太郎殿という人の弟子になり、日々兼がね思い付いていたところ(海軍のこと)に精出しています。

ですから、四十歳になる頃までは、うちには帰らないつもりで、兄さん(権平)にも相談したところ、この頃は大変ご機嫌が良く、そのことについてもお許しが出ました。

国のため、天下のために力を尽くしています。

どうぞお喜び下さい。さようなら。

三月二十日 龍
乙女様

 おつきあいのある人のなかでも、特に心安い人には、内緒で見せてもいいですよ。 さようなら。


通称「エヘンの手紙」

坂本乙女宛  文久三年(1863)五月一七日

此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり申候。

ちかきうちには大坂より十里あまりの地にて、兵庫という所にておおきに海軍をおしえ候所をこしらえ、又四十間、五十間もある船をこしらえ、でしどもにも四五百人も諸方よりあつまり候事、私初栄太郎なども其海軍所に稽古学問いたし、時々船乗のけいこもいたし、けいこ船の蒸気船をもって近々のうち、土佐の方へも参り申候。
その節御目にかかり申しべく候。

私の存じ付は、このせつ兄上にもおおきに御どういなされ、それはおもしろい、やれやれと御もうしのつごうにて候あいだ、いぜんももうし候とうり軍さでもはじまり候時はそれまでの命。

ことし命あれば私四十歳になり候を、むかしいいし事を御引合なされたまえ。

すこしエヘンにかおしてひそかにおり申候。
達人の見るまなこはおそろしきものとや、つれづれにもこれあり。
猶エヘンエヘン、
かしこ

龍馬
五月十七日
乙女姉御本

右の事は、まずまずあいだがらへも、すこしもいうては、見込のちがう人あるからは、おひとりにて御聞おき。
かしこ

■現代語訳

最近は天下一の軍学者勝麟太郎という大先生の門人となり、ことのほかかわいがられて、客分のようなものになりました。

近いうちに大坂から十里あまりの兵庫というところで大きな海軍のことを教える所をつくり、また四十間、五十間もある船をこしらえ、弟子たちが四五百人も各地より集まるので、私はじめ栄太郎(高松太郎=龍馬の甥)などもその海軍所で稽古学問し、時々船乗りの稽古をし練習船の蒸気船で近いうちに土佐の方へも参ります。
その時はお目にかかりましょう。

私の考えについてはこの頃、兄さん(権平)もおおいに御同意され、「それはおもしろい、やれやれ」と言って下さるというようなわけで、以前にも言ったように戦いでも始まればそれまでの命。

今年命あれば私が四十歳になる時のことを前に言ったことを思い出してください。

すこし”エヘン顔”して密やかにおります。
達人(勝海舟)の見る目は大したものだとか、徒然草にも書かれています。
なおエヘンエヘン、
さようなら

龍馬
五月十七日
乙女姉みもと

右の事は、まずまずの間柄の人でも、少しでも言うと、誤解する人があるから、姉さんお一人で聞いておいてね。
さようなら


通称「日本の洗濯」

坂本乙女宛  文久三年(1863)六月二九日

この文は極大事の事ばかりにて、
けしてべちやべちやシヤベクリには、
ホヽヲホヽヲいややの、
けして見せられるぞえ。

六月廿日あまりいくかゝきょうのひは忘れたり。
一筆さしあげ申候。

先日杉の方より御書拝見仕候。ありがたし。
私事も、此せつはよほどめをいだし、一大藩によくよく心中を見込てたのみにせられ、今何事かでき候得ば、二三百人ばかりは私し預候得ば人数きまゝにつかい申侯よう相成、金子などは少し入ようなれば、十、廿両の事は誠に心やすくでき申候。

然に誠になげくべきことはながとの国に軍初り、後月より六度の戦に日本甚利すくなく、あきれはてたる事は、其長州でたゝかいたる船を江戸でしふくいたし又長州でたゝかい申候。

是皆姦吏の夷人と内通いたし侯ものにて候。
右の姦吏などはよほど勢もこれあり、大勢にて侯へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先づ神州をたもつの大本をたて、それより江戸の同志、はたもと大名其余段々と心を合せ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべくとの神願にて候。

此思付を大藩にもすこむる同意して、使者を内々下さる事両度。
然に龍馬すこしもつかえをもとめず。
実に天下に人ぶつのなき事これを以てしるべく、なげくべし。

○先日下され候御文の内にぼうずになり、山のおくへでもはいりたしとの事聞へ、ハイハイエヘンおもしろき事兼て思い付おり申候。

今時は四方そうぞしく候得ども、其ぼうずになり大極のくされくされたるけさごろもをかたにかけ、諸国あんぎゃにでかけ候得ば、西はながさきより東はまつまえよリエゾまでもなんでもなく、道中銀は一文も用意におよばず。

それをやろうと思えば先つねのシンゴンしゅうのよむかんおんきょう、イッコウしゅうのよむあみだきょう、これはちとふしがありてむかしけれど、どこの国ももんとがはやり申候あいだ、ぜひよまねばいかんぞよ。

おもしろやおもしろや、おかしやおかしや。

それよりつねにあまのよむきょう一部、それでしんごんの所へいけばLんごんのきょう、いっこうしゅうへいけばいっこうしゅうのきょうをよみ これはとまるやどの事にて候。ほうだんのような事もしんらんしょうにんのありがたきおはなしなどする也  いたし、まちを。ひる。おうらい。すればきょうよみよみゆけば、ぜには十分とれるなり。

これをぜひやれば。しっかり。おもしろかろうと思い申候。

なんのうきよは三文五厘よ。
ぶんと。へのなる。ほど。やって見よ。
死だら野べのこつは白石 チヽリヤ チリチリ
此事は必必一人りでおもい立事のけして相ならず候。
一人りでいたりやこそ 龍ははやしぬるやらしれんきにすぐにとりつく。
それはそれはおそーしいめを見るぞよ。
これをやろうと思えばよく人の心を見さだめなくてはいかん。
おまえもまだわかすぎるかと思うよ。

又けしてきりょうのよき人をつれになりたりいたしたればならぬ事なり。
ごつごついたしたるごうじょうばんばのつよばんばでなければいかん。
たんほう。おば。さんえぶくろの。内にいれ、二人か三人かででかけ万々一の時は、グワンとやいてとうぞくの金玉までひきたくり申候。

○私しをけしてながくあるものとおぼしめしはやたいにて候 然に人並のように中々めったに死なうぞ死なうぞ。

私が死日は天下大変にて生ておりてもやくにたゝず、おろんともたゝぬようにならねば、中々こすいいやなやつで死はせぬ。

然に土佐のいもほりともなんともいわれぬ、いそうろうに生て一人の力で天下うごかすべきは、是又天よりする事なり。

こう申てもけしてけしてつけあがりはせず、ますますすみこうて、どろの中のすゞめがいのように、常につちをはなのさきへつけ、すなをあたまへかぶりおり申候。御安心なされかし。
穴かしこや。

弟 直陰
大姉 足下

今日は後でうけたまわれば六月廿九日のよし、天下第一おおあらくれ先生を初めたてまつり、きくめ石の御君にもよろしく、むばにもすこしきくめいしの下女 とくますやへいておりたにしざいごのこんやのむすめ にもよろしく、そして平井の収次郎は誠に じゅうもんじ力 むごいむごい。
いもうとおかおがなげきいかばかりか、ひとふで私のようすなど咄してきかしたい。まだに少しはきづかいもする。

かしこ。

しもまちのまめぞうも、もうこわれはせんかえ
けんごなりや、なおおかしい。

現代語訳

この手紙はすごく大事なことばかりを書いているので、決してべちゃべちゃおしゃベリにはホーオホーオいややの見せてはいけないよ。
(「べちゃべちゃ」「ホヽヲホヽヲいやや」は噂話の描写)

今日が六月二十何日か、忘れてしまいました。一筆さしあげます。

先日杉さんから手紙が来ました。ありがたいことです。
私も最近芽が出てきて、大藩(福井藩=松平春嶽)に心中を見込まれ、頼りにされ、今何か事が起きれば、二、三百人くらいを預かり、自由に使える立場になり、金が必要な時も、十両や二十両のことなら、心配いりません。

ところが、誠に嘆かわしい事は、長州で戦争が始まり先月から六度の戦いに、日本は勝ち目がなく、あきれた事には、長州で戦った(外国の)船を江戸(幕府)で修理してまた長州で戦っています。

これらはみな、悪い幕府の役人が、外国人と内通しているものです。
こうした悪役人は、よほど勢いもあり、大勢いますが、龍馬は二、三の大名と、固く約束し、同志を募り、朝廷もまず神の国を守る大方針を立て、江戸の同志 旗本・大名・その他 と心を合わせ、こういった悪役人と戦って撃ち殺し、この日本を今一度洗濯しなければならないことを祈願しています。

この思いに大藩(福井藩)も大いに同意し、使者を内々に二度下されました。
しかし、龍馬はお仕えする事をお断りしました。(私に誘いがくるとは)よほど世の中には人物がいないものですね。嘆かわしいことです。

○先日下さったお手紙に坊主になって山の奥へでも入りたいとの事、ハイハイエヘン、おもしろいことをかねてから思いついています。

最近は、どこも騒々しいことですが、坊主になってボロの袈裟衣を着て諸国を回れば、西は長崎から、東は松前より北海道までも何でもなく、旅費は一文も用意はいりません。

それをやろうと思えば、まずいつもの真言宗の読む観音経、一向宗の読む阿弥陀経、これはちょっと節があって難しいけれど、どこの国でも門徒が多いので是非とも読まなければいけませんよ。

おもしろい、おもしろい、おかしい、おかしい。

それから、いつも尼さんが読むお経の一部、それで真言宗の所へ行ったら真言宗のお経、一向宗の家へ行けば一向宗のお経を読み (これは泊まる宿の事です。法談のような事も親鸞上人のありがたいお話などをする)
町を昼往来し、お経を読みながら行けば、お金は十分もらえます。

これを是非やって下さい。大変に面白いと思います。

どうせこの世は三文五厘よ。
ブンとおならをするつもりでやってご覧なさい。
死んだら野辺の骨は白い石。チヽリヤ チリチリ(お囃し)
このことは必ず必ず一人で思い立ってはいけませんよ。
一人でやると (龍馬は早く死ぬかもしれないからすぐにとりつく)
それはそれは恐ろしい目を見るぞ。
これをやろうと思えば、よく人の心を見定めなくてはいけません。
姉さんもまだ若すぎると思うよ。

また、決して美人を連れて行ったりしてはなりません。
ごつごつした、強情な婆さんで強い婆さんでなければいけない。
ピストルを小物袋に入れ、二人か三人かで出かけ、もし万一のことがあったら、ガンと一発ぶっぱなし盗賊のキンタマまで吹き飛ばしてやりなさい。

○ 私を決して長生きするものと思わないで下さい。しかし、人並みのように中々めったなことでは死にませんよ。

私が死ぬ日は、天下が大変な時に生きていても役に立たず、居なくてもよいようにならなければ、なかなかずるい嫌な奴だから、死にはしません。

ところで、土佐の芋掘りとも何ともいえぬ、居候(郷士の次男坊)に生まれて、一人の力で天下を動かすとしたら、それは、天がさせていることです。

こう申しても、決して決してつけ上がりはせず、ますます潜り込んで、泥の中のすゞめ貝(しじみ)のように、常に土を鼻の先へ付け、砂を頭へかぶって います。ご安心下さい。
さようなら。

弟 直陰
乙女 お姉様

今日はあとで聞いたら六月二十九日だそうですね。天下第一の大荒くれ先生(乙女)を始め奉り、菊目石(あばた顔の形容)の御君(姪の春猪)にもよろしく、乳母にも。
少し菊目石のお手伝いさん (徳増屋へ行っていた町外れの紺屋の娘) にもよろしく。そして、平井収次郎(土佐勤工党) (十文字の切腹) まことにむごいむごい。
妹お加尾 のなげきは、いかばかりか。
少しでも、私の近況など話してやりたい。
いまだに、少しは気遣いもする。

さようなら。

下町のまめぞうも、もうこわれなくなったろうか。
元気だろうか。まだ気になっている。


■ 参考

文久三年という年は、前年十月勝海舟の弟子となって頭角をあらわし、日本の海軍創設に向けて動き出したときです。

その第一歩として勝の海軍塾創設に尽力します。この計画の賛同者である福井藩に足を運び、このとき勝と並ぶ、龍馬の思想の師である横井小楠(福井藩政治顧問)や経済、財政に明るい三岡八郎などの教示を受け、将来の日本のあるべき姿が見えてきたころのようです。三月の手紙では勝の弟子になったことを嬉々として語っていた龍馬が六月の手紙では、幕府の腐敗を嘆き「日本の洗濯」という、理想の国家に向けての決意の言葉を書かせています。

六月の手紙後半は、離婚した乙女が出家したいという相談に、「おもしろい。やれ!やれ!」とけしかけてはいるもののやんわりと反対しています。このあたりに「坂本は・・・・・他人を誘説感得するの能に富める。同時の者能く彼の右に出るものあらざりき」と陸奥宗光に言わせた、龍馬の秀でた説得術が垣間見られます。

まず賛成し、その方法を丁寧に考えてやりながら、その困難さを説く。そして「やめた方がいい」とは一言もいわず、「姉さんもまだ若すぎると思うよ」と言葉をかけ、乙女自身の考えで、思いとどまるように仕向けているようです。

最後にある「一人の力で天下うごかすべきは、是又天よりする事なり」という言葉は、「竜馬がゆく」に書かれた司馬遼太郎氏の「天に意思があるとしか この若者の場合思えない。天がこの国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし・・・・」 という言葉を思いおこさせます。

追伸には郷里の身近な人たちを気遣い、心根の優しさが感じられます。お加尾は龍馬の初恋?の人。


■参考文献 ・龍馬の手紙、宮地佐一郎 ・龍馬書簡集、高知県立坂本龍馬記念館 ・他