龍馬雑学

龍馬の名前

幼名・通称 「龍馬」 子供の頃から普段呼ばれている名  
実名、諱(いみな)
「直陰」「直柔」
正式な手紙などの署名に使用する名
最初は「直陰」(なおかげ)と名付けたようで慶応元年12月頃までは、この「直陰」を使っていたようです。
「直柔」(なおなり)に変わるのはそれ以後のことのようで、いつ変えたのかははっきりとは分かっていませんが、妻お龍によると慶応二年春頃、龍馬が「直陰」の”陰”を嫌い「直柔」に変えたという。

「自然堂」
(じねんどう)
漢詩や画を書いた時などに使用する名(下関の伊藤家にあった龍馬の居室の名)
変名 追っ手からの隠れみのにするための名
「才谷梅太郎」さいだ(た)に うめたろう
※この名前が最も使用頻度が高い
他にも
「西郷伊三郎」さいごう いさぶろう
「大浜涛次郎」おおはま とうじろう
「高坂龍次郎」たかさか りゅうじろう
「取巻の抜六」とりまきのぬけろく
※寺田屋事件の後寺田屋女将・お登勢に宛てた手紙にこの名がある。自らを茶化している。

龍馬の武器

愛刀 「吉行」

龍馬は慶応2年12月、「先祖のものを持って死に臨みたい」と兄権平に手紙を書き、先祖伝来の「吉行」をゆずりうけた。慶応3年3月頃からこの刀をもっていた思われ、龍馬はその喜びを、権平宛ての手紙に「京都の刀剣家がほめてくれる」と伝えている。

刺客が近江屋の龍馬のいる部屋に入ってきたとき、この刀は床の間にあり龍馬はそれを取って応戦しようとしたが、さやをはらう間もなく頭部に致命傷を受け息絶えた。

ピストル

スミス&ウエッソン第U型(32口径)6連発
慶応元年に初めて持った短銃で、高杉晋作が上海から持ち帰り龍馬に贈ったもの。薩長同盟締結後、寺田屋で幕吏の襲撃を受けたとき使用したが、指を切られ紛失した。

スミス&ウエッソン第T1/2型ファースト・イッシュー(22口径)5連発
近江屋暗殺の際所持していたもので、お龍にも持たせていた。大正2年の釧路大火で焼失。


龍馬の風貌

幕末の志士というと、身なりにかまうことなく国事に奔走していたというイメージが強い。龍馬も乱れた髪、よれよれのハカマにブーツをはき、無造作な格好だが、違った二つの証言があるので紹介する。

海援隊士、関義臣の証言

寺田屋のお登勢の実娘 殿井力の証言

『坂本は、なんであんなにめかすのか。武士には珍しい男じゃ』

京都、特に寺田屋に行くときはオシャレした?

遺された紋服から龍馬の体格は、身長173cm体重70〜80kg位と推測されている。

乱れた髪はトレードマークだが、30歳代に前髪の後退が進んでいる。天然パ−マという説もある。

「東洋のルソー」と謳われた中江兆民(土佐藩出身)によると梅毒のよるものだと言っているが、医学的には梅毒と前髪の後退との因果関係は薄いそうだ。中江兆民といえば門下の幸徳秋水の著書「兆民先生」に 興味深い話があるので紹介する。

「豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ、予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も彼が純然たる土佐なまりの方言もて、『中江のニイさん煙草を買ふてきてオーセ』などと命ぜらるれば、快然として使いせしことしばしばなりき。彼の眼は細くして其額は梅毒の為め抜上がり居たりき」