室町から戦国期にかけて誕生した流儀武術は、太平の江戸期にいたって一時衰退した。寛文三年(1663)に改訂された武家諸法度で武芸者同士の真剣勝負は禁じられ、さらに後に花開いた元禄文化のなかで武術も実用を離れ華やかな技法に流れる風潮が生まれていく。
享保四年(1719)に新陰流の剣士である熊谷忠右衛門が著した「剣術諸流評論」は、
と、当時の剣術を批判している。
そんな江戸期の武術界に変革がおきた。正徳年間(1711〜16)剣術流派としては歴史のある直心影流の山田平左衛門、長沼四郎左衛門父子が防具と竹刀を考案し自由に打突を行う自由稽古を行ったのである。
その後宝暦年間(1751〜64)に名門の一刀流中西派の中西忠蔵によって改変され現代の防具にほぼ近い形態が完成すると多くの剣術流派が竹刀稽古を採用するようになった。この稽古方法の改革と享保年間以来幕府が行った武術奨励の風を受けて武術は隆盛の時代を迎える。
これら道場の門をたたいたのは、武士の子弟だけでなく農民や町民の子弟も多数いた。幕府は二度にわたって百姓町民が武術を修行することを禁じたが、たいした効果はなかった。武術は単なる芸事にあらず、立身出世のための重要な手段でもあった。
また龍馬のような地方の下級武士の子弟たちにとっても憧れの場であった。地元では窮屈な身分制度に甘んじなければならないが江戸の道場に遊学すれば自由に剣術と学問を学ぶことができる。
やがて江戸の剣術道場は全国から大志を抱いて集まる、若者の”るつぼ”と化していった。
北辰一刀流、千葉周作の玄武館。鏡新明智流、桃井春蔵の士学館。神道無念流、斎藤弥九朗の練兵館。隆盛をきわめた、これら三道場を称して江戸三大道場という。と評された。
いずれの道場も新興流派で竹刀稽古という時代の波にうまく適合できた。また稽古方法や剣術理論でも従来の型稽古を中心とした古流とは異なり”手っ取り早く習えて、上達が早い”流派に人気が集まる、当時の江戸の世相が、これら道場の人気を後押しした。代表的なのが北辰一刀流である。
古流の剣法は、その権威を誇るためもあり難解な言葉を使い剣術を哲学や宗教と結びつけたが、周作は簡易な言葉を使い、として合理的な練習法を編み出した。また、それまで八段階に定められていた一刀流の修行段階を初目録、中目録、大目録の三段階に簡略化した。
そのためと評判になり、多くの門弟を獲得している。当時門人三千余人といわれた。
また背後に有力な庇護者を持てた事も大道場として隆盛する要因といえる。士学館は土佐藩、玄武館は水戸藩、練兵館は水戸藩・長州藩と強い絆を持っていた。
江戸で市井の人々が道場の門を叩いたように地方でも農民たちが武術を求めて道場に集まっている。それは単なる芸事に留まらず、統制が緩んで治安が悪化する中、自身と一族を守るための護身の剣を求めてのことだった。
稽古は実戦本意となり、江戸の軽妙な剣術とは異質の剣が育った。”いも剣術”と揶揄された近藤勇の試衛館の剣が斬り合いで無類の強さを発揮したのも当然といえるかもしれない。
| 道場と道場主 | 流派と流祖 | 関係の深い 土地と藩 |
主な剣客と特徴 | |
|---|---|---|---|---|
| 玄武館 千葉周作 |
北辰一刀流 千葉周作 |
江戸・水戸 水戸藩 |
海保帆平 山南敬助 藤堂平助 清河八郎 山岡鉄舟 |
父親の北辰夢想流と浅利、中西一刀流を学んで創始された剣。北辰とは北斗七星のこと。合理的な教導法により、多くの門人を輩出。「瞬息心気力一致」を剣の要諦とする。瞬息とは剣を振り下ろすスピードを上げること。 |
| 士学館 桃井春蔵 |
鏡新明智流 桃井八郎左衛門 |
江戸 土佐藩 |
武市半平太 岡田以蔵 久保田晋蔵 |
一刀流他の諸流をを学び開かれた流派。幕府講武所にも用いられた剣は品格第一とされ「位は桃井」といわれた。 |
| 練兵館 斎藤弥九朗 |
神道無念流 福井兵右衛門 |
江戸 武州埼玉 水戸藩 長州藩 |
桂小五郎 品川弥二郎 永倉新八 |
特に長州藩士が多く学んだ実戦剣法。荒稽古で鳴り「自戒、自立」の精神を重んじた。 |
| 伊庭道場 伊庭軍兵衛 |
心形刀流 伊庭是水軒 |
江戸 亀山藩 |
伊庭八郎 伊庭想太郎 湊新八郎 |
幕府講武所に大いに用いられた。技が多彩なのが特徴。 |
| 男谷道場 男谷精一郎 |
直心影流 山田平左衛門 |
江戸 上州沼田 |
島田虎之助 勝海舟 天野八郎 |
防具による試合稽古を創始した。幕臣の門人が多かった。心胆の練磨を強調する重厚な剣。 |
| 千葉道場 千葉定吉 |
北辰一刀流 千葉周作 |
江戸・水戸 土佐藩 |
坂本龍馬 千葉重太郎 |
千葉定吉(貞吉)は周作の実弟 |
| 中西道場 中西忠太子啓 |
一刀流・中西派 伊藤一刀斎 |
江戸 | 寺田五右衛門 高柳又四郎 |
竹刀による稽古をはやらせたことで有名。受けるとともに打つ、「切落し」という技が特徴。一刀流の真髄を継ぐ、合理的な剣法。寺田は千葉周作の兄弟子にあたり、当時最強との評判が高かった。 |
| 浅利塾 浅利又七朗義明 |
一刀流・中西派 伊藤一刀斎 |
小浜藩 | 山岡鉄舟 | |
| 撃剣館 岡田十松吉利 |
神道無念流 福井兵右衛門 |
水戸藩 | 岡田十松利貞 | |
| 試衛館 近藤勇 |
天然理心流 近藤内蔵助 |
江戸 武州多摩 |
沖田総司 土方歳三 井上源三郎 |
木刀による型稽古で、「根と力」をつくる。極意を「浮鳥の位」と称す。内容は後継者への口伝のため不明。「荒海の 水につれそふ 浮鳥の 沖の嵐に 心動かず」という和歌がある。 |
| 岡田道場 | 柳剛流 岡田惣右衛門 |
江戸 武州埼玉 陸前 |
松平上総介 | 幕末の関東で北辰一刀流とともに門人の数が多かった。敵のすねを切るのが特徴。このけれんみのある剣法は戦場では有効だったようであるが一刀流系の熟達者には敗れている。 |
■参考文献 幕末大全、剣術道場(学習研究社)他