上野彦馬と幕末写真術

1839年、フランスで磨き上げた銀の板へ画像を焼き付けるダゲレオタイプ・銀板写真の技術が発表された。

日本で撮影された最初は安政元年(1854)、ペリーが二度目に日本を訪れたとき。

この技法は当初、露光時間が明るい場所でも20分ほどかかった。また1回の撮影で1枚の写真しか得られず、裏側から透かし見ることができないので、鏡に映ったように画像の左右が反転してしまうという欠点があった。写真を撮る前にわざわざ着物のあわせや刀を逆にしたり、体が動かないように足や首を器具で固定したりして撮った。

1851年、この欠点を克服する湿板写真がイギリスで発明された。

上野彦馬上野彦馬は、1839年(天保九年)長崎の銀屋町に生まれ16歳で大分・日田の名門私塾・咸宜園に入門。

三年後に帰郷し幕府第二次海軍伝習所医官として長崎に来たオランダ海軍医ポンペの塾「舎密試験所」に入り舎密学(化学)を学んだ。彦馬はポンペについて化学を勉強中、蘭書に写真術について解説した項を発見し興味を覚え、塾で知り合った伊勢藤堂藩の堀江鍬次郎とともに共同研究を始め苦難の末、ついに湿板写真による撮影に成功した。弱冠二十歳のときである。

湿板写真は、ガラス板にコロジオン(感光液)を塗り、それが湿っている間に撮影・現像をする方法で露光時間は秒単位になり銀板写真に比べると、格段に便利になった。またガラス板のため左右反転しない正像がえられた。しかし薬品が湿っているうちに現像をしなければならないので、専用のスタジオ以外での撮影はたいへん困難だった。

しかも数種類の薬品の調製がたいへんで、オランダ語でその方法が示してあるとはいえ見たこともないものを作るところから始めなければならなかったのである。

薬品の製造方法の一部を紹介する。

・青酸カリウム
牛の生血を日光にさらして乾かし、分析しながら精製を繰り返して得た。

・アンモニア
生肉が付着している一頭分の牛骨を、土中に埋め、腐りはじめた頃、掘り出して釜に入れて抽出し、これを蒸留して得た。

獣肉を食しない当時にあっては彦馬の行動は正気の沙汰とは映らなかったようであり、さらにはあまりの臭気に長崎奉行所に訴えられてしまった。忍耐強い苦労の末、アルコール、アンモニア、エーテル、カドミウムなどを混和してついにコロジオン液の調製に成功した。

1862年、彦馬は上野撮影局を創設し、勝海舟、榎本武揚、坂本龍馬らを次々に撮影して評判をとった。また明治七年の金星観測でわが国最初の天体写真も撮影した。

1871年、乾板写真(フィルム)が発表され、彦馬が研究を重ねた湿板は急速に廃れることになる。しかし、彦馬の写真、化学界への功績が、輝きを失うことは無い。


幕末期に使われていた印画紙の多くは「鶏卵紙」と呼ばれる食塩で溶いた卵白を塗って乾燥後に硝酸銀で処理したものでこれを原板にあてて太陽光の下で焼き付けると水洗と定着だけで処理できた。

当時の日本ではガラスが非常に貴重だったため鶏卵紙に焼き付けられた後の原板は像を掻き落としてガラスを再利用した。このため右の龍馬の湿板の写真のようにガラス湿板が残っているのは大変貴重なことのようだ。