和霊神社

■和霊神社は宝暦十二年(1762)龍馬の祖先である才谷屋三代目「八郎兵衛直益」が宇和島にある和霊神社(現在の愛媛県宇和島市和霊町)の主祭神、山家清兵衛公頼に感銘、その御霊を坂本家の守護神にしようと分霊して建立した。やがて地元の人々も数多く参拝するようになり、親しまれてきた。

建立からちょうど百年後の文久二年(1862)3月24日、脱藩の決意を固めた28歳の龍馬は、吉野に花見に行く」と言い残し、同志・沢村惣之丞とともに土佐を脱藩した。この「吉野」とは、現在、高知市神田字才谷山にある和霊神社周辺のことで、当時は坂本家の所領地で桜の名所だったそう。龍馬はこの和霊神社に立ち寄り、水盃をしたと伝えられている。

和霊神社では毎年3月24日に近い日曜日に、脱藩スタイルで当時のルートを辿り脱藩を再現する「龍馬脱藩祭」が実施されている。  (現地案内文より)

山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより)は、宇和島城主伊達十万石、初代藩主伊達秀宗の家老職総奉行として、藩財政の立て直しと民力の充実に努め、その職にあること5年間、治績もあがり領民の敬慕も受けた。

しかし、反対派の中傷を信じた藩主秀宗は、元和6年(1620)6月29日、侍大将桜田玄蕃一派の武士数十人に清兵衛を襲撃・殺害させた。清兵衛の次男、三男、四男、縁故者までが殺害された。

清兵衛の徳を慕う領民は、この凶変を悲しみ、密かに城北森安の八面荒神境内に小さな祠を建て、山家一族を祀って、児玉明神と称した。

遠近からの参拝者が日増しに増え、不思議なことも多く起り、やがて清兵衛の無実も判明するに至った。秀宗は大いに反省し、京都の吉田家に願い出て、承応2年(1653)に神社を建立し、山頼和霊神社と崇めた。

和霊神社和霊神社
和霊神社への道は少々わかりにくいので「神田龍馬会さんのHP」に良い地図があるのでご紹介します。
http://www.geocities.jp/shigeru_tamura/