スフィンクスと侍

スフィンクスの前での記念撮影

文久3年(1863)末、フランスとの外交交渉を主とする第二回遣欧使節団(総勢34名)は仏艦ル・モンジュ号で横浜を出航した。

当時、アジア・ヨーロッパ航路は喜望峰(南アフリカ共和国)を回るルートか、紅海へ入りエジプトを陸路で地中海に抜けるルートがあった。スエズ運河は1859年に着工し、完成は1869年であるからこの頃はまだ開通していない。

翌元治元年(1864)3月13日パリに到着したが、交渉は不調に終わった。往路、エジプトのスフィンクスの前で記念撮影したのがこの写真。一行はピラミッドはもちろんのこと異文化に驚いたろうが相手方も珍奇な、いでたちの日本人には興味を覚えたことだろう。

写真左下にA.Beatoとある。この”ベアト”は当時日本に在留した写真家、F.Beatoと同一人物と思われてきた。

F.Beato(FelixあるいはFelice)はイタリア生まれでイギリス国籍を持ち、クリミア戦争・インドのセボイの反乱など主に戦争写真を撮ってきた従軍写真家である。開国前の日本の混乱期に興味を示し文久3年(1863)春頃、来日したらしい。彼は幕末から明治初期の日本の風俗・風景・戦争写真などをジャンルを問わず数多く残している、当時の日本写真界の第一人者といって過言ではない。

従来はF.Beatoが使節団に同行して写真を撮ったとされてきたが、実はF.Beatoにはアントニオ(Antonio)という兄弟がおり、現地にいたA.Beatoが写真を撮った。彼もまた写真家でエジプトを中心に活動していたようである。

おそらくはF.BeatoがA.Beatoに「日本の使節団がエジプトに行くからスフィンクス前で写真を撮ればきっと高く売れるよ」といった内容の手紙をおくったものと思われる。(松本逸也氏推測)

A.ベアトは使節団の外国奉行組頭、田辺太一に写真をプレゼントし、使節団帰国後、F.ベアトは田辺太一を訪問したという。