西郷隆盛の顔

上野の西郷像■上野公園の西郷像は明治30年に東京市民の寄付金で作られた。

キヨソネの肖像画を元に作られたが除幕式で未亡人のイトさんは.「宿んし(うちの主人)はこげんなお人じゃなかったこてえ」と呟いたそうだ。さらに顔だけでなく、軍人であった西郷さんは、浴衣の着流しで散歩などしなかったと嘆いたという。

その当時の有名人、坂本龍馬や 桂小五郎、土方歳三、勝海舟など殆どの英傑達は写真が残っている。が、西郷隆盛のものは一枚も見つかっていない。

これは、「刺客を意識して、顔を知られないようにするため」「写真嫌い」など諸説あるようだが後者が最大原因らしい。

”写真嫌い”を示す逸話として・・・

西郷の人柄を愛された明治天皇が自身の「御真影」を西郷に下賜された。その時、御自身も西郷の写真をご所望になり、写真を持ってくるように命じられたが、その後、写真は差し出れず仕舞いだったという。また盟友の大久保が米国から、洋装でひげを生やした写真を送ってきたとき、「いかにも醜体を極め・・・・・もう写真取りは御取り止め下さるべく候」と返事を出している。

西郷隆盛
西郷隆盛
西郷従道
実弟 西郷従道
大山巌
従弟 大山巌

左上の西郷の有名な肖像画はキヨソネ(エドアルド・キヨッソーネ 1833-98 )によるもの。

キヨソネは1831年にイタリアのジェノバで生まれ、1875(明治8)年に来日して大蔵省印刷局で銀行券や印紙のデザインおよび原版作りを行い、銅版技術の指導した。この西郷隆盛の肖像の他にも、明治天皇、大久保利通、木戸孝允などの肖像を描いている。

この肖像画が描かれたのは、1878(明治11)年、西郷隆盛が亡くなった1年後である。

後に京都市長になった西郷の子、菊次郎によると、七回忌にまつる肖像を、と大蔵省印刷局にいたキヨソネに依頼した。

西郷と面識のなかったキヨソネは、似ていると云われていた実弟・西郷従道の顔、上半分といとこ・大山巌の顔、下半分の写真をつぎはぎして"復元"したものを基に描いたという。