古城

■会津城

会津城

至徳元年(1384)葦名直盛がこの地に築城したのが始まりで、その後文禄2年(1593)に蒲生氏郷が七重の天守閣を持つ大城郭を完成させた。

明治 元年(1868)戊辰戦争において朝敵とされた会津藩主松平容保は官軍の攻撃に対して籠城し約一ヶ月耐えたが、大きな犠牲を出しついに開城。藩士の子弟が組織した白虎隊が自刃したのはこの時。

写真は明治初期に撮られた、鶴ヶ城天守閣の無念の姿である。

明治6年(1873)県の新庁舎が完成し、天守閣が取り壊されたが、昭和40年(1965)現在の五層の天守閣が復元された。撮影、明治初期


■鹿児島城

鹿児島城

慶長7年(1602)に初代薩摩藩主・島津家久(忠恒)の命によって築城をし、2年後に完成した。

天守閣もない質素な屋形造りは「城をもって守りとなさず、人をもって城となす」の精神によるもの。
(藩には独特の外城制度があり、領内に百二外城といわれる支城網が整備されていた。)

鶴が翼を広げた形をしていたので「鶴丸城」と言われていたが明治6年の大火で焼失した。
現在は、本丸跡の石垣と堀の一部が残っている。撮影、明治初期


■熊本城

熊本城

日本三名城の一つに数えられる熊本城は、加藤清正によって慶長6年(1601)に築城が始まり慶長12年(1607)に完成したといわれている。

加藤氏改易後、明治維新まで細川氏の居城となった。明治10年(1877)の西南の役に際しては、薩軍を相手に50日余も籠城し、薩軍は熊本城を落とすことができず、城の北方に展開し、田原坂で決定的な敗戦を喫する。敗走する自軍に向かって「おはんらは加藤清正と戦争して負けたようなもんじゃ。」と西郷が言ったとか。

しかし薩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失。
現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建された。撮影、明治初期


■萩城

萩城

萩城は関ヶ原の役後毛利輝元が慶長9年(1604)築城着手、4年後の同13年(1608)完成した。萩市内の西北隅、指月山(標高143メートル)の麓に位置し山名をとって指月城とも呼ばれた。

山麓の平城と頂上の山城とを併せた平山城である。明治七年(1874)解体。
本丸には写真の高さ14、5メートルの五層の天守閣があったが、今はその台座のみ残っている。
撮影、明治初期