角兵衛獅子

角兵衛獅子明治初期の写真。 

外国人がチップをはずむので横浜には大道芸人が集まった。表情が何とも愛らしい。

■角兵衛獅子の由来
水戸の浪人、角兵衛が殺害されたとき角兵衛が犯人の足指をかみ切っていたことから、息子角内・角助兄弟が仇討ちのため逆立ちの芸を演じ「あんよを上にして、あんよの指の無い者に気をつけて見なはれ」とやったのが由来という説と、月潟村(新潟県)の水害による飢饉の口減らしのため獅子踊りの芸を仕込んで収入にしたという説がある。

角兵衛獅子には親方がいて、子獅子をつとめる子供を養子にもらい、彼らを育てながら芸を仕込み、そうした子供を数人連れて日本各地を周り生計を立てていたと思われる。

そのとき、いくらかの金銭の授受が親方と実の親との間にあったのであろう。その金がいわゆる子供の身売り金ということになる。

芸の諸国巡業は江戸中期からと伝えられ、明治に入り減少し大正期には、ほとんど姿を消した。

昭和8年には少年虐待防止法ができ、金儲け目当ての子供の獅子舞は禁止された。