
数年前、ネットオークションで「幕末志士の集合写真」として売られていた有名な写真。
”幕末の1865(慶応元)年、各地の志士が長崎に集結した際のもので、写っているのは龍馬や即位前の明治天皇・勝海舟・伊藤博文・大久保利通らとオランダ人宣教師フルベッキ親子”というフレコミ。30万円位の値がついていたそう。
本当は明治2年に長崎、上野彦馬写場で撮られた”フルベッキとその教え子たち”の貴重な送別写真である。
写真中央の外国人がフルベッキで、その左の女の子はフルベッキの娘らしい。(次女エンマ?)
志士の集合写真だと主張する人たちにいわせると・・・
坂本竜馬・・・・・最前列、右から4番目の人
桂小五郎・・・・・最前列左で腕組している人
西郷隆盛・・・・・フルベッキのうしろのごつい人
勝海舟・・・・・・・左端に立っている人
中岡慎太郎・・・桂の真うしろにいる人 ・・・ということになるらしい
1852年、アメリカに移住。オーバン神学校を卒業して宣教師となり、1859年11月長崎に赴任。
その頃の日本は1854(安政元)年に日米和親条約を結び、1858(安政5)年に欧米諸国と通商条約を結んで開国したところでフルベッキは日本への宣教師派遣に応募し来日したもの。
来日後、彼はキリスト教伝道のかたわら、塾を開いて日本の青年たちに英学を教え始めた。
佐賀藩の役人として長崎にきていた大隈重信がこの英学塾で学び、大きな影響を受けたという。大隈はここで大変な秀才ぶりを発揮したらしく、フルベッキが「私は二人のごく有望な生徒をもった。それは副島種臣と大隈である。かれらは新約聖書の大部分を研究しアメリカ憲法の大体を学んでしまった。」と賞賛した話が伝えられている。
ついで大隈らは、「致遠館」という英学塾をつくりフルベッキを校長に迎え、自らも教師になって学習に励んだ。これがのちに早稲田大学の原点となった。
明治2年、東京に移る際、「致遠館」の学生達との送別の時に撮影されたのが上の写真。
日本在留中、オランダ国籍を失ったが政府の許可を得て、日本人同様の特典が与えられた。東京でのフルベッキは多方面で活躍したが、1897(明治30)年に没し青山墓地に葬られた。